意識的呼吸と気づきの呼吸
先日のブログ(ワンネスディクシャと呼吸法のワークショップ報告)に
意識的な呼吸「 Conscious Breathing 」
と
気づきの呼吸「 Aware Breathing 」
では、
水と油ほど違うと書きました。
意識することと気づくことの違いを呼吸に対してどう行うかは、
個人的に色々と経験したりレッスンの指導の中で解かってきたものがあります。
最近のレッスンではそれをしばしば取り入れています。
ヴィパサナでもそうだと思いますが、
呼吸に気づいているつもりなのに意識的に呼吸してしまうようになったりすると、
のちのち、問題が発生します。
それで苦しんでいる人(本人はボケて気づかないかもしれないけど周りの人は大変です)も見てきていますし、私も20代のころやっていたボディワークでそれに陥り、苦労しました。(指導者が、その違いを解かっていなかったということでしょう。)
それを解消する方法を身をもって学んできたので、
とっても大切にしていますし、
そういう考えで私のレッスンは成り立っています。
(そういった経験から先のワークショップが生まれました。)
これは、フェルデンクライスメソッド全般に言えることですが、
意識的に何かすることと気づきつつ何かすることの違いはとても重要です。
その差は「あいまいにして明瞭」なものかもしれませんが!?
フェルデンクライスメソッドは、
最初のうちは意識する(頭・思考・意識・マインドなどで表現されるものの介入が存在する)ことから始まり、
回を重ねることによって
気づいている(頭・思考・意識・マインドなどで表現されるものの介入が存在しない)状態へと
移行させる力があります。
マインドとハートという言葉で区別すると解かりやすいかもしれません。
このメソッドのユニークな点の一つは、
マインドの機能を高めつつ、ハートで動けるようにする力があるということでしょうか。
嘉納治五郎が柔道をヨーロッパに広めるときに、
「気」「丹田」の説明については、
専らフェルデンクライス博士(モーシェ)が担当していた
という話を聞いたことがあります。
今の体重制の柔道ではなく、
小柄で非力な人間が体格が大きく力強い人間を手玉に取ることができる初期の柔道の話です。
「気」「丹田」については、
それそのものを持ってきて見せたり場所を特定して教え込んだりするのではなく、
動きのなかで見せたり教えたりできると言っていたようです。
そうやって、柔道を指導していたと言っていました。
オリンピック競技化(体重制)していく過程で、それらは失われていったとも言っていたようです。
フェルデンクライスメソッドのトレーニングコースでモーシェに
「モーシェ、今はもうそれを教えないのですか?」
と聞いた人がいるそうです。
モーシェいわく、
「今、皆に教えているじゃないか!
今までずっとそれを教えてきたんだよ。」
気や丹田で動くことを、
そういったあいまいな(思い込みに走りやすい)言葉を使わずに体得させるのに
フェルデンクライスメソッドを使っていたんですね〜。
頭で作った動き=意識的=マインドからの動き、
気や丹田の動き=気づき=ハートからの動き
と関連付けられると思っているのですが、いかがでしょうか。
フェルデンクライスメソッドは、「動きを通しての気づき」と「機能的統合」です。
意識的な呼吸「 Conscious Breathing 」
と
気づきの呼吸「 Aware Breathing 」
では、
水と油ほど違うと書きました。
意識することと気づくことの違いを呼吸に対してどう行うかは、
個人的に色々と経験したりレッスンの指導の中で解かってきたものがあります。
最近のレッスンではそれをしばしば取り入れています。
ヴィパサナでもそうだと思いますが、
呼吸に気づいているつもりなのに意識的に呼吸してしまうようになったりすると、
のちのち、問題が発生します。
それで苦しんでいる人(本人はボケて気づかないかもしれないけど周りの人は大変です)も見てきていますし、私も20代のころやっていたボディワークでそれに陥り、苦労しました。(指導者が、その違いを解かっていなかったということでしょう。)
それを解消する方法を身をもって学んできたので、
とっても大切にしていますし、
そういう考えで私のレッスンは成り立っています。
(そういった経験から先のワークショップが生まれました。)
これは、フェルデンクライスメソッド全般に言えることですが、
意識的に何かすることと気づきつつ何かすることの違いはとても重要です。
その差は「あいまいにして明瞭」なものかもしれませんが!?
フェルデンクライスメソッドは、
最初のうちは意識する(頭・思考・意識・マインドなどで表現されるものの介入が存在する)ことから始まり、
回を重ねることによって
気づいている(頭・思考・意識・マインドなどで表現されるものの介入が存在しない)状態へと
移行させる力があります。
マインドとハートという言葉で区別すると解かりやすいかもしれません。
このメソッドのユニークな点の一つは、
マインドの機能を高めつつ、ハートで動けるようにする力があるということでしょうか。
嘉納治五郎が柔道をヨーロッパに広めるときに、
「気」「丹田」の説明については、
専らフェルデンクライス博士(モーシェ)が担当していた
という話を聞いたことがあります。
今の体重制の柔道ではなく、
小柄で非力な人間が体格が大きく力強い人間を手玉に取ることができる初期の柔道の話です。
モーシェは、最初、それを観たときに茶番につき合わされたと思ったようです。
痩せっぽちの子供みたいな体格の老人が、向かってくる屈強な大人をポイポイ投げていては、誰でもそう思うでしょう。(今の柔道家が見てもそう思うかもしれません。)
「気」「丹田」については、
それそのものを持ってきて見せたり場所を特定して教え込んだりするのではなく、
動きのなかで見せたり教えたりできると言っていたようです。
そうやって、柔道を指導していたと言っていました。
オリンピック競技化(体重制)していく過程で、それらは失われていったとも言っていたようです。
フェルデンクライスメソッドのトレーニングコースでモーシェに
「モーシェ、今はもうそれを教えないのですか?」
と聞いた人がいるそうです。
モーシェいわく、
「今、皆に教えているじゃないか!
今までずっとそれを教えてきたんだよ。」
気や丹田で動くことを、
そういったあいまいな(思い込みに走りやすい)言葉を使わずに体得させるのに
フェルデンクライスメソッドを使っていたんですね〜。
頭で作った動き=意識的=マインドからの動き、
気や丹田の動き=気づき=ハートからの動き
と関連付けられると思っているのですが、いかがでしょうか。
フェルデンクライスメソッドは、「動きを通しての気づき」と「機能的統合」です。